2019年11月22日金曜日
甕棺墓列(吉野ヶ里遺跡)
佐賀県吉野ヶ里遺跡の甕棺墓列(かめかんぼれつ)
前回行った時、展示室の甕棺は立ててあり何故両端が尖って不安定な形なのだろうと疑問に思っていた。
甕棺の葬り方(説明書より)
①横穴を掘り、その中へ甕の片方を尖った方から入れる。
②その甕へ遺体を置き、足元からもう片方の甕を合わせる。
③継ぎ目は粘土でしっかりふさぐ。
なるほど穴の中で甕をつなぎ合わせるから端は尖っていてもいいのだ。
1800年もの間しっかりと繋ぎ合わさった甕棺に入っていた遺体は、指の先まで骨が残っていたのである。
酸性の水や土が滲みて入った甕棺の遺体は解けて消えていたのだ。
円錐形の甕棺は優美でりっぱな形だった。
冬ざるる朱き甕棺野ざらしに 美代
2019年11月14日木曜日
2019年11月10日日曜日
2019年11月5日火曜日
庭の千草 4
メキシカンセージ(紫)
アブチロン(赤ちょうちん)野紺菊
あやめの細葉
みょうがの葉は後ろに
句会が終わると真っ先に飛び出して帰る。
夕飯を作らねばという使命感からだ。ところが最近、夫が用意してくれている時がある。結婚して50年近くになって初めてのことだ。
「おいしそう!!!」
腕を上げたわね。なんと素晴らしい。盛り付けもいい。たまには濃い味付けもいいわね。・・・・私はここぞとばかりに言葉を惜しまない。
白いご飯が光っているね(私は玄米、麦を混ぜるから)
朝なかなか起きなくても見逃そう、あちこちに新聞広げても見逃そう。聞いているのか返事をしない事に腹を立てまい・・そう思える程にうれしい事なのだ。
継続は力なり。
これからもよろしくお願いします。
夫の拭く皿の輝く冬はじめ 美代
2019年11月1日金曜日
2019年10月22日火曜日
庭の千草 3
静かに季節が移り替わると、いつのまにか庭の草花も入れ替わっている。あれ程盛んに咲いていた秋海棠も散ってしまった。
赤いジュズサンゴがひときわ目を引く。
紫蘭の実が硬く黒ずんでいる。
ホトトギスは次々と咲いては散っている。
藪から出てきた水引草。
近くの広い空地に耕運機が入り、雑草もろとも耕し鋤きこんだ。草の処理に一番お金のかからない方法だという。
こんなに養分満点となった土に何かを植えない手はないと、私は密かにワイルドフラワーの種を蒔こうと思う。
種袋に小さな穴を開け、手の中で振りながら一回りしよう。来春、一面の花畑が出現したら、きっと地主さんも驚くだろう。
それとも・・・・
実はなべて空へ上向きほととぎす 美代
2019年10月18日金曜日
2019年10月13日日曜日
2019年10月9日水曜日
庭の千草 2
(クリックすると拡大します)
庭の草花だけで活ける。
夏の生け花との違いが分らない夫に説明した。
材料は同じでも、秋だという季節感は分ってほしいな。
あやめの葉にもう真っすぐな勢いはない。
秋海棠は垂れて実になろうとしている。
アブチロンの赤いちょうちん花はなお赤い。
青いセージの花は鮮やかさを増している。
ほととぎすは秋の花である。
みずひき草は茶色の実を付けている。
哲学者の西田幾多郎は言っている。
「知と愛は一致する作用である」と。
私は草花を愛する、即ち草花を愛する自分を愛しているのだ・・と思う。が、本当はどうなのだろうか。
八千草や詩人は庭を愛しみぬ みよ
庭の草花だけで活ける。
夏の生け花との違いが分らない夫に説明した。
材料は同じでも、秋だという季節感は分ってほしいな。
あやめの葉にもう真っすぐな勢いはない。
秋海棠は垂れて実になろうとしている。
アブチロンの赤いちょうちん花はなお赤い。
青いセージの花は鮮やかさを増している。
ほととぎすは秋の花である。
みずひき草は茶色の実を付けている。
哲学者の西田幾多郎は言っている。
「知と愛は一致する作用である」と。
私は草花を愛する、即ち草花を愛する自分を愛しているのだ・・と思う。が、本当はどうなのだろうか。
八千草や詩人は庭を愛しみぬ みよ
2019年10月4日金曜日
銀杏
友人から頂いた銀杏。
その友人も又友人から貰ったというので、その人は一体どれ程の銀杏を拾ったことだろう。
この写真を米・ワシントンに住んでいる息子にラインで送ったところ、イチョウの樹が色づいているようだが実には気付かなかったと言う。
匂いのする実がならないように雄株があるのだ。
銀杏は雌雄異株という事は知られている。
だから、実の付かない雄株を作るには、幾度かの選別をして実の落ちない雄の樹だけを選び、接ぎ木や挿し木をしてクローンを作り雄の樹だけを植えているらしい。
新聞紙に銀杏を包みレンジでチンして殻を弾けさせ、さみどりの実をいただいた。
電子機のポンと銀杏弾けさせ みよ
2019年10月1日火曜日
2019年9月28日土曜日
浅草 朝日ビール本社
朝日ビール本社21階にて句会(中央金色ビル)
手前橋の青い網は花火大会の転落防止用。
日の出桟橋 墨田川を上る
赤い舟には「gozabune]とあった。
高貴な方の為の舟かも・・
朝日ビールの本社21階のレストランで句会。
その続きをロビーの椅子で、外の花壇の縁に腰掛けて。
超結社のこの仲間の20年続いている句会だ。
次の約束もしっかり決めて17:00解散となった。
八つ橋の石組さやか鑿(のみ)の跡 美代
2019年9月24日火曜日
彼岸花 青毬(あおいが)
スケッチブックに描いた彼岸花。
写真に撮ると紙の白さが出ない、どうしたことか。
凹凸のあるか紙質だからなのか、フラッシュをたいても白くならない。
自筆上絵付け
自筆上絵付け(チャイナペイント)です。
縦16センチ、 横33センチの長皿。
青毬が早くもはじけている。秋の気配濃厚だ。
青々とした毬だが、道路には弾けた栗が転がっている。
このように、季節の草花や果物を描いているのが幾皿かある。
料理の盛り付けにも使えると思うが、わが家族には貰い手がなく時々自分で「良い色合いだわい」と慰めている。
2019年9月20日金曜日
西都原(さいとばる)古墳群・宮崎県
宮崎県西都市にある西都原(さいとばる)古墳群。
以前から興味のあった古墳群を観に、用事のついでに寄ることにした。
1500年も前の古墳時代、この地に人々の生活があり、墓を祭り、今も人々が住み続けていることに感動する。
舟形埴輪、
大きな屋根のある家形埴輪、
鉄製の兜や刀等が展示されていた。
この舟に乗って外洋まで出たのだろうか。
家形埴輪は、以前観た出雲大社を彷彿とさせる作りだ。
平面の横から観た円墳は、高さ3、4mに見えた。
誰が眠る古墳色無き風の中 みよ
2019年9月7日土曜日
2019年8月28日水曜日
2019年8月25日日曜日
黄色い西瓜
西瓜は秋の季語である。
季節は静かに移っているのだ。
黄色の西瓜は、どこか懐かしい。
この小玉西瓜は熟れ切って、刃を当てると自ずからパチッと割れた。
中心は水の塊のようだ。
赤い西瓜と違って、私は黄色には甘さを求めない。
黄色はただ西瓜の水を湛えてくれればよい。
固定観念はいつも潜んでいて、「海鞘」(ほや)を食べた時もそう思った。
最初に料理屋で食べた時、独特の匂いがしたので(ほや)とはこんな味がするものと思っていた。
ところが、
東北の大船渡へ行った折り、津波で何も無くなった波止場にプレハブの寿司屋があった。狭いカウンターで出された新鮮な「海鞘」に驚いた。
あの匂いがしないのだ。
それは海の爽やかな匂い、まるで海水を食べているかのようだった。
タイの果物「ドリアン」もそうだ。
(トイレでソフトクリームを食べている匂いだ)と他人は言う。
臭いというのが常識だ。
しかし深夜、道路に手押し車でもって来たもぎたてのドリアンを食べた時も驚いた。 あの匂いがしない。確かに慣れない果物の匂いはするが、いやではなく、ソフトクリームを食べているような滑らかさだけが印象に残った。
ドリアンは臭いという固定観念。
確かに古いドリアンの傷みかけた匂いはいただけない。
一度新鮮なドリアンを食べると観念も変わるだろう。
常に新しい目で物を見ないと俳句もできない。
顔を洗って新鮮な目で物事を見ることにしよう。
・・・といっても良い句はできないのですが。
万緑を天蓋にして石仏 miyo
2019年8月17日土曜日
2019年8月11日日曜日
ローズマリー のリース
庭のローズマリーの繁りが大きく膨らんでいる。
切り取ってリースにした。
フェンネルの黄色の花をアクセントにして。
プレゼントにしようかなと考えるが
萎れて色褪せするだろうと思うと気になる。
私は色褪せしていく自然の様子を好むが、誰しもそうとはかぎらない。
リースとして飾られているほとんどが、造花や乾燥した花でつくられている。
作った時のままを維持していくのがリースの身上のようだ。
はたして、次の日には黄色の花は変色し、ローズマリーの葉先はまるまってしまった。
プレゼントにはしなくて良かったと思った。
八月や祈りいつしか孫のこと 美代
2019年8月8日木曜日
秋海棠(しゅうかいどう)
秋海棠、あやめの葉、紫陽花、紫蘭の葉
秋海棠、あやめの葉、紫陽花、南天、
フェンネル、ローズマリー、紫蘭の葉
、
2センチの糸トンボ
庭の草花を活けるのはうれしいひとときである。
花が無い時は、緑の葉だけの時もある。
いろいろな葉の形、色の濃淡、葉の大小、
それらを組み合わせるのが面白いのである。
いわゆる園芸種の花が無いのが特徴だろうか。
地味でざっとした生け花だ。
糸トンボの細かい種類はわからないが、
今日のは水色がついていない。
この前のトンボの相棒かな。
公園のベンチぽつんと鰯雲 美代
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