2011年6月11日土曜日
片陰(かたかげ)
リスボン(ポルトガル)は石畳で覆われた街だった。
1755年の大地震でリスボンの街は壊滅状態
だったという。
その跡に又街を復興する事になった時、
建物の高さを揃え、外壁の様相を規制し、
碁盤の目に道路を作ったという。
それから250年の間人々が歩いた石畳は、
滑らかでつやつやとしていた。
職人が補修していたが、5cm角からの大理石を
土に木槌で打ち込み、目地は砂で何度でも再生して使えるエコだった。
雨が降ったら、何パーセントかは目地の砂が
吸い込むだろう。
丘の頂上の城への道も、路地裏も石畳だった。
鉄砲を私の故郷種子島へ伝えたポルトガルは、幼い頃から親しみを持っていた国だったが、
それを話してくれる人と出会う事はなかった。
片陰やモザイク補修の石畳 茜
夏の季語;片陰(かたかげ)