2019年8月25日日曜日

黄色い西瓜

 

西瓜は秋の季語である。
季節は静かに移っているのだ。

黄色の西瓜は、どこか懐かしい。
この小玉西瓜は熟れ切って、刃を当てると自ずからパチッと割れた。
中心は水の塊のようだ。
赤い西瓜と違って、私は黄色には甘さを求めない。
黄色はただ西瓜の水を湛えてくれればよい。

固定観念はいつも潜んでいて、「海鞘」(ほや)を食べた時もそう思った。
最初に料理屋で食べた時、独特の匂いがしたので(ほや)とはこんな味がするものと思っていた。
ところが、
東北の大船渡へ行った折り、津波で何も無くなった波止場にプレハブの寿司屋があった。狭いカウンターで出された新鮮な「海鞘」に驚いた。
あの匂いがしないのだ。
それは海の爽やかな匂い、まるで海水を食べているかのようだった。

タイの果物「ドリアン」もそうだ。
(トイレでソフトクリームを食べている匂いだ)と他人は言う。
臭いというのが常識だ。
しかし深夜、道路に手押し車でもって来たもぎたてのドリアンを食べた時も驚いた。 あの匂いがしない。確かに慣れない果物の匂いはするが、いやではなく、ソフトクリームを食べているような滑らかさだけが印象に残った。

ドリアンは臭いという固定観念。
確かに古いドリアンの傷みかけた匂いはいただけない。
一度新鮮なドリアンを食べると観念も変わるだろう。

常に新しい目で物を見ないと俳句もできない。
顔を洗って新鮮な目で物事を見ることにしよう。
・・・といっても良い句はできないのですが。



万緑を天蓋にして石仏     miyo