2024年3月27日水曜日

赤・白椿、枝垂れ桜、

手のひら大の椿の花, 赤と白が並んで咲いていた。
赤い椿白い椿と落ちにけり   河東碧梧桐

この大きさだから、下に落ちている花は、重さゆえ無残な感じだった。

今日の枝垂れ桜、曇っていたが、水たまりには青空が映っていた。
 
4年前の枝垂れ桜、滑り台の後ろの遊具が変わっているようですね。

世の中は、次から次へと話題が途切れない。春相撲が終わったと思ったら、大谷さんの話題で持ち切りだ。人はリアルな素の人間が起こす問題に、より興味を持つらしい。私も又、テレビのドラマやワイドショウ等、先が読めてしまうような番組には興味が無くなってしまった。だから、動きの読めない動物番組などが人気があるのかもしれない。チョコチョコとチャンネル替えてます。

ぶらんこや青空映る水溜まり  miyo

2024年3月19日火曜日

木五倍子きぶし、仏の座、山茱萸、苔、シカゴの緑

木五倍子(きぶし)が風に揺れていた。毎年時期を見計らって会いに行く。この斜面には、人の手が入らないように祈っている。

今年も健在で良かった。

田んぼの畔に、仏の座がピンクの花を咲かせている。右はぺんぺん草。

山茱萸(さんしゅゆ)

       お寺の庭は、一年中苔が見事だ。


「シカゴ」のセント・パトリックデー祝祭
祝祭の為、川が緑色に染められている。
息子が出張先のシカゴから送ってきた。セントパトリックデー祝祭(3月17日)の為、川も緑色に染められているそうだ。ビールも緑があるらしい。アイルランドの国旗は緑、白、オレンジに染められているが、緑はクローバーの色を表していると聞いたことがある。川を染めるとは、日本では考えられないですね。零下3度らしいです。

近所をちょっと歩くと、このような多彩な草花に会う。何気ないけれど綺麗だ。飽きない草花達。いつまでも立ちつくしていたくなる。

木五倍子咲く風は谷より吹いてきて  miyo

2024年3月13日水曜日

白木蓮、トウダイグサ、草イチゴ、ぺんぺん草、

以前、「コンパスフラワー」と木蓮の事を書いた事がある(2020年)。この蕾を観ると、日の当たる右下の方が膨らんでおり、先の尖りは反対方向を向いているように見える。それで日の当たる南へ対し、蕾の指す方角は「北」だと言われ「コンパスフラワー」と呼ばれるようになった所以である。
コンパス=羅針盤ともいわれる

「トウダイグサ」辺り一面、この花で埋め尽くされている・

「草イチゴ」早くも花が咲いていた。

空地はぺんぺん草がいっぱい。


庭の「クリスマスローズ」、もう10年以上咲いてくれている。

何もしない日、話題もあまり無くてすみません。相撲の若手の取り組みが、今の気になる所。ひいては、宮城野部屋の行方が気になります。モンゴル出身の力士達、頑張っても日本の風習に馴染める人、馴染めない人さまざまですね。

濃く淡く影の踊るよ春障子   miyo

2024年3月8日金曜日

白鷺、麦、仏の座、沈丁花

白鷺が餌を漁っている。立ち尽くして時間がかかりそうだ。


麦の芽もしばらく見ない間に、力強く育っていた。

耕しの終わった田んぼに日が行き渡っている。

仏の座のピンク色が鮮やかだ。下も仏の座。


沈丁花が早くも咲いていた。
久し振りに畦道へ行ってみた。耕しも麦の芽も順調に進んでいる。春が来た!と実感する。

春の野にはピンクの小花が良く似合う。しかし、ファッションの世界では、ピンクは排除されている。時代遅れ、スマートではない、ダサイ色だと差別されているのだ。ブランドや、お菓子のロゴマークからさえもピンクは取り下げているらしい。反対に白と黒だけは、人気を伸ばしているようだ。世相も似ているような気はしないか。殺伐とした世界の雰囲気は白黒の世界だ。ピンクが好きな訳ではないけれど、ピンクという色も受け入れられるようになると、少し平和も近づくような気がしてくる。私見でありますが・・


手で払う淡雪ほどの憂いかな   miyo

2024年3月2日土曜日

目白、百舌鳥(モズ)、大根おろし、耕し

目白、みかんもすぐに食べてしまった。毎年、訪問してくれる目白。

百舌鳥、一声で辺りは鎮まる。

グレープフルーツを切ったものの、半分は鳥達へおすそ分け。


緑いろの「大根おろし」 
大根おろしは二人の好物だ。一口食べるとさっぱりする。鳥の食べる量だ。

紫色の「大根おろし」

春耕が始まった。昔、桑畑だったらしい斜面に何が植えられるのだろう。

まだ外は寒い。長く歩くのは億劫になってきた。それでも1時間弱は歩く。  大谷さんが結婚した。お相手はどんな方かと「結婚相手予想大会」というラインが回ってきた。近所の友人からである。私はアスリートという予想だ。いい線いっていると思う。記者会見では大谷さんの隠しきれない喜びが、顔一杯に溢れているようにみえた。
日脚伸ぶ幸は自ら作るもの   miyo