2019年10月22日火曜日

庭の千草 3

 

静かに季節が移り替わると、いつのまにか庭の草花も入れ替わっている。あれ程盛んに咲いていた秋海棠も散ってしまった。
赤いジュズサンゴがひときわ目を引く。
紫蘭の実が硬く黒ずんでいる。
ホトトギスは次々と咲いては散っている。
藪から出てきた水引草。

近くの広い空地に耕運機が入り、雑草もろとも耕し鋤きこんだ。草の処理に一番お金のかからない方法だという。
こんなに養分満点となった土に何かを植えない手はないと、私は密かにワイルドフラワーの種を蒔こうと思う。
種袋に小さな穴を開け、手の中で振りながら一回りしよう。来春、一面の花畑が出現したら、きっと地主さんも驚くだろう。
それとも・・・・


実はなべて空へ上向きほととぎす  美代


2019年10月18日金曜日

棗(なつめ)

 
自筆上絵付け



このブログを始めて棗のページは5回目になる。
棗の樹自体は4、5メートルはありそうだが、散歩道の道路の下段から生えているので、高い処の実にはすぐ触れることができるのだ。
食べると甘いことはわかっているので、もう採る気はしない。
慣れるという事はあぶない。
青い実にも熟れた実にも、敏感に季節を感じていたのに、今はどうだ。
通りすがりに、ちらと見やる程度の関心しかないのだ。
ああ・・衰えるなあ。


農協の周りは農家棗熟る   みよ


2019年10月13日日曜日

台風の日

ヨガのポーズ
 
 山桃酒(氷が白い)4か月目 
 
 
台風の日、家にいる日はヨガをする。
お気に入りのポーズを幾つか書いて壁に貼っている。
テレビで観た型を書き留めたのだ。
気が向いた時だけだが、すっきりするから効用があるのだろう。
夫にも勧めるが、我が道を行くの彼には合わないらしい。

4か月経った山桃酒を味見してみた。
なる程こんな味なのですね。
風味豊か、素朴、最後に少し土の匂いがしたような。
山桃をくださった方に感謝して頂いた。



台風の拭いても足の湿りかな  美代

台風やクラッカーと山桃酒

2019年10月9日水曜日

庭の千草 2

                              (クリックすると拡大します)

庭の草花だけで活ける。
夏の生け花との違いが分らない夫に説明した。
材料は同じでも、秋だという季節感は分ってほしいな。

 あやめの葉にもう真っすぐな勢いはない。
 秋海棠は垂れて実になろうとしている。
 アブチロンの赤いちょうちん花はなお赤い。
 青いセージの花は鮮やかさを増している。
 ほととぎすは秋の花である。
 みずひき草は茶色の実を付けている。

哲学者の西田幾多郎は言っている。
「知と愛は一致する作用である」と。
私は草花を愛する、即ち草花を愛する自分を愛しているのだ・・と思う。が、本当はどうなのだろうか。



 八千草や詩人は庭を愛しみぬ  みよ


2019年10月4日金曜日

銀杏


友人から頂いた銀杏。
その友人も又友人から貰ったというので、その人は一体どれ程の銀杏を拾ったことだろう。
この写真を米・ワシントンに住んでいる息子にラインで送ったところ、イチョウの樹が色づいているようだが実には気付かなかったと言う。
匂いのする実がならないように雄株があるのだ。

銀杏は雌雄異株という事は知られている。
だから、実の付かない雄株を作るには、幾度かの選別をして実の落ちない雄の樹だけを選び、接ぎ木や挿し木をしてクローンを作り雄の樹だけを植えているらしい。

新聞紙に銀杏を包みレンジでチンして殻を弾けさせ、さみどりの実をいただいた。



電子機のポンと銀杏弾けさせ  みよ




2019年10月1日火曜日

朝日のあたる家

 

朝日のあたる家 と聞くとアニマルズを思い出す。歌詞はわからずとも胸がジーンとなって聴いたものだ。
こちらは我が家の通学路に面して置いてある小さな家だ。
まだ数軒隠れている。

「ジュズサンゴ」が真っ赤に実をつけている。
ホトトギスも満開だ。
華やかな夏の花に比べると、地味なものだが、それなりに精一杯の秋を謳歌しているのだ。

私達二人も70代、あと2年で後期高齢者となる。
支え合って生きていこうと思う。




てらいなく寄り添う齢月見草  美代