2021年8月28日土曜日

クレオメ、 葡萄ゴルビー

クレオメ、(セイヨウフウチョウソウ)

広島の葡萄 ゴルビー

 クレオメは初めて育ててみた花である。アフリカ原産、4月に頂いた種を蒔いてから成長は早かった。今1メートルを超えているだろう。朝と夕方では色に変化があり、夕方にはさらに濃くなっているようだ。   毎日の花への水やりにすっかり疲れてしまい、来年はクレオメのように地植えにして水やりの必要のない花を選んでいきたい。

野菜など頂き物が多いこのごろ、広島の学生時代からの友人は葡萄を送ってくれた。「ゴルビー」という初めての品種の甘さには驚いている。有難う!  


果物のブルーム大事お中元  美

(*ブルームとは果物などに付いている白い粉状のもの)

2021年8月21日土曜日

秋海棠


秋海棠・ 大きな葉の左右非対称が特徴
後ろにアヤメの葉があった方が落ち着くなあ。

先日から調子の悪かったPCも、エクスプローラからMicrosoft Edgeに替えてやっと安定するようになりました。2009年60歳の時からこのブログを始めてもう13年目なります。早いものですね。そして統計情報を見ると、なんとこれまでに約22万回という閲覧数が書いてありました。私にとっては驚きの数字、有難いと思います。たいした知識も無いまま、好きな植物の話をしつづけて近辺の野や田んぼを見続けてきました。この頃はそれも尽きて私生活の裏話をするようになり、なんでもかんでもだなあと思っています。草花は生きる喜びです。どれが咲いているかと思うと早起きをしてしまいます。今は外の花から家の中に活ける喜びに移ってきました。一応師範の資格を持っているのですが、まだまだですと言われそうですね。


終わりのトマト:蔓のように隣の薔薇の枝にからみつき最後の熟れを急いでいます。

   杉抜けてほうたる昇る神の山  美 

2021年8月16日月曜日

緑陰、白アスパラガス


           我が家の緑陰(楓の木が大きくなって)


ヨーロッパの白アスパラガス(実際は真っ白なアスパラガス)

NO,3 イタリア記  旅行にはちょっとしたトラブルは付き物だ。個人旅行となると何が起こるか分からない、その場で解決しなくてはならない事がある。ベネチアからローマへの列車に乗った時の事。その車両はほぼ満席に近く楽しそうな雰囲気に満ちていた。そこへ車掌が「切符拝見」と回ってきて、私達の所へ来ると切符を取り上げこう言った。「この切符は使えない。今すぐ金を払え。後で調べて払っている事がわかったら返す。」夫は「この切符(周遊券)ですでに旅行中だ。最初に払っている。」これの繰り返しで押し問答になった。乗客達は何事かとこちらに注目しているのが感じられた。私は夫の上着をひっぱり「ここは払って、後で返してもらったら?」と言うと夫は「なにを馬鹿な事をいう。払っているではないか。この車掌は何人の日本人にこういう事をしてきたのだろう。後で返すという事はありえないよ」と立ち上がった。すると車掌は日本人にしては大柄の夫を見上げると何も言わずに立ち去ろうとした、その瞬間夫は車掌の手から切符を取り返したのである。、、、どうなることかと見守っていた乗客達は、にこやかに何事もなかったように席に座った。
一見落着、夫は「君はすぐ騙されるタイプかもね」と言った。そうだろうと私も思った。
しかし、少しも揺るがなかった夫の態度に、海外での仕事が多かった夫の姿を垣間見たような気がした。
その後も、快適な列車の旅を続けた。その同じ切符(周遊券)で。
(夫の後日談:その頃のイタリア国鉄事情を知っての上の発言だった。との事です。その夏ナポリではゴミ収集者のストライキが長引き街中ゴミの山という事で私達はそこを避けたのだった)



緑陰は明るき方を向くところ  美 

2021年8月11日水曜日

臭木の花、ボタンクサギ


臭木の白い花、ねこじゃらし


           ボタンクサギ

臭木は案外高木で上から枝が垂れ下がりその先端に咲いている。しかし、通る誰も気がつかない。「あ、臭木が咲いている」と仰ぐ人を見たことがない。関心がないだけの事だが。もうすぐ地区の草刈りで全部刈り取られてしまうのだ。早く頂いて活けなければと思った。

牡丹クサギはある農家の納屋の周りに咲いていたので、少し覗くと、びっくり、納屋の中まで咲いていたのだ。それほど繁殖力が旺盛らしい。顔見知りのそのお宅の方に、声を掛けて1本貰った。地植えにはしないで鉢に植えたその1本が1年経ってこんなにきれいに咲いたのだ。思っていたほど臭くはなかった。

 田んぼまで下り坂なり臭木咲く   美 

2021年8月4日水曜日

サブという犬

「サブ」



                                      茗荷の葉、秋海棠、いつもの庭の花

サブという犬

サブは迷い犬だった。黒い柴犬で生後6か月位だという。近所のIさん宅で飼うことになり、毎日朝夕の散歩をする度によく遇うことから私達もサブと仲良くなっていった。しばらくして「散歩のお手伝いをさせてください」と頼み夫と私で夕方の散歩をサブとするようになった。大事な犬をこちらの勝手で散歩の楽しみを分けてもらうなんて虫の良い話だ。サブはその時から初心者の私達を先導して、5メートルも歩くと後ろを振り返り、「大丈夫?ついて来れる?」とさっと目を合わせるのだった。ある時、私は夫と少しの諍いをして悲しい顔をしていたらしい。サブは私に駆け寄り、目をじっと見詰めたまま離れないのだ。どうしたのか最初は分からなかったが、彼は私を心配して動かないのに気付いた。「サブちゃん有難う。大丈夫よ」と繰り返し言うと、いつものように又先を歩き出した。この時まで犬が人の心を読むとは知らなかった。

サブは自分の主人に対して飛びついて甘える事も、手を舐める事もしなかった。ただ傍にいてじっと目を見つめて命令を待っているように見えた。自分の立場を分かっているかのように。穏やかなI家の人達の雰囲気そのままの気がした。学校帰りの子供達が頭や尻尾や耳を触ろうとひっぱろうと平気な顔をしてじっと動かなかった。吠えなかった。そんなサブも16年間元気でいたが亡くなった。私達はIさん宅の居間で通夜をして泣いた。本当に人間の友人を亡くしたかのように悲しかった。人間が出来ているという言葉があるが、サブという犬にも当てはまる言葉だった。今でも時折思い出すのである。

 

風涼し犬の逸らさぬ怜悧な眼    美