2021年8月4日水曜日

サブという犬

「サブ」



                                      茗荷の葉、秋海棠、いつもの庭の花

サブという犬

サブは迷い犬だった。黒い柴犬で生後6か月位だという。近所のIさん宅で飼うことになり、毎日朝夕の散歩をする度によく遇うことから私達もサブと仲良くなっていった。しばらくして「散歩のお手伝いをさせてください」と頼み夫と私で夕方の散歩をサブとするようになった。大事な犬をこちらの勝手で散歩の楽しみを分けてもらうなんて虫の良い話だ。サブはその時から初心者の私達を先導して、5メートルも歩くと後ろを振り返り、「大丈夫?ついて来れる?」とさっと目を合わせるのだった。ある時、私は夫と少しの諍いをして悲しい顔をしていたらしい。サブは私に駆け寄り、目をじっと見詰めたまま離れないのだ。どうしたのか最初は分からなかったが、彼は私を心配して動かないのに気付いた。「サブちゃん有難う。大丈夫よ」と繰り返し言うと、いつものように又先を歩き出した。この時まで犬が人の心を読むとは知らなかった。

サブは自分の主人に対して飛びついて甘える事も、手を舐める事もしなかった。ただ傍にいてじっと目を見つめて命令を待っているように見えた。自分の立場を分かっているかのように。穏やかなI家の人達の雰囲気そのままの気がした。学校帰りの子供達が頭や尻尾や耳を触ろうとひっぱろうと平気な顔をしてじっと動かなかった。吠えなかった。そんなサブも16年間元気でいたが亡くなった。私達はIさん宅の居間で通夜をして泣いた。本当に人間の友人を亡くしたかのように悲しかった。人間が出来ているという言葉があるが、サブという犬にも当てはまる言葉だった。今でも時折思い出すのである。

 

風涼し犬の逸らさぬ怜悧な眼    美